父を亡くした。 “その時”でさえ父は晴れやかだった。 それでも後悔は絶えなかった。 過ちを犯した。 とても深く、黒い布に包まれるみたいに、沈んでゆく自分を知った。 せめて海の底ならいいのに。 夜になるのが嫌だった 眠るのが怖かった あれから、見る夢はいつも同じ 昔、父が家を空けていた時期があった。 その所為か、日常は変わらない。 母も、時々目が赤い事以外はいつも通りだった。 もう二度と父に会えないと思い知らされる時もある。 けれど、また、会えるような気もしてしまう。 きっと、それはいつも明るくて、軽薄なくらいあっけらかんとしていた父の所為。 父は死ぬ事を恐れたり、嫌がったりはしていなかった。 なにもしなくたって、朝がきて、昼になって、夜が来る。 誰かを失っても日常は消えない。 それに、父の不在はきっととても大きい、でも、彼の所在も大きい。 毎日、普通に過ごしています。 でも、 だから、 夢を見る。 灰色の濃厚な空気の中、ゆっくりと沈んでゆく。 何もない 寒くも暑くもない 目に写るのは灰色の空気だけ だいぶ降りてきた。それでもまだ、底は見えない 何処まで沈めば終わるの? どれほど沈んできたのだろう もう、浮上の気力なんて、望なんて捨てた方が良いと思えるほど沈んできた。 いつ終わるの? 重く濃厚な空気は吐くのも吸うのも苦しい いつ終わるの? いつ終わるの? ………………… ………いつ? ……………………………………? 朝がくれば夢から開放された。 でも、また、眠れば同じ夢の続き。 セルゲームの後もトランクスはこちらの世界に残った。 悟空を失った悟飯の傍にしばらく居たいとチチにだけ告げて、毎日顔を出した。 チチはそれなら家に住んだらどうかと勧めたが、ブルマがカプセルコーポに部屋を用意してくれている事もあり断った。 チチも気丈に振舞ってはいたが、空元気なのが伺えた。 実家から父親を呼んでは泊まっていって貰っていた。 今は家の中の人口密度を減らしたくないのだろう。 また、いつもの夢の続きだった。 けれど、今日はいつもと違って肌寒い。 下にゆけばゆくほど寒い。 底に辿り着くのかも。 けれど、まだまだ、底は見えない。 その日も、トランクスは朝食の後片付けが終わった頃やって来る。 午前中は悟飯の勉強をいつものようにトランクスが見てくれた。 今は無理に勉強なんてさせなくても良いとチチは思っていたが、いつも通り過ごした方が悟飯が楽なら好きにさせようとも思った。 何よりトランクスと居る時の悟飯が、やけに子供らしく見えて安心した。 「お星様、観に行きたい」 思いついたように悟飯が云いだす。 「Scutum、Vulpecula、Canes Venatici、Sextans、Lynxとか色々、今日、お星様を観たいです」 お星様というより星座だった。 「じゃあ、午後からプラネタリウムに行きましょうか?」 まだ昼前だし、もう観られない星座や、まだ観られない星座があったのでプラネタリウムを提案したのだが、悟飯はぷるぷると首を横に振る。 「夜。本物のお星様を夜、観に行きたいんです」 懇願しているようにも見えた。 悟空が亡くなってから、悟飯は夜になると眠るのを嫌がっていた。 だから、トランクスは悟飯が寝付くまで、孫家に居る事もよくあった。 悟飯がこんなに早い時間から、今夜の事を心配しているのかと思うと、気掛りだったが、本当に星が観たいだけかもしれないので余計な事は云わず椅子から悟飯を抱き上げて頷いてみせた。 「他は?」 悟飯は満面の笑みで答える。 「Leo MinorあとLacerta」 やはり星座の時期がばらばらだった。しかもあまり明るくない星が多かった。 「一度には観られませんよ。何度かに分けて行きましょう」 云いながらトランクスは、悟飯の頬を人差し指で撫でた。 しかし、昼過ぎから雲が増え、夕方には小雨が降り出した。 悟飯は心配そうに、窓の外を見ては「止みますよね?」とトランクスにすがっていた。 トランクスもはじめは首を傾げて誤魔化していた。 雨は次第に強くなり止みそうもなかったので、明日にしようかと提案てみたが悟飯は一生懸命、首を横に振っていた。 その姿が可哀想で、テルテル坊主の作り方を教えたりしていたが、雷まで鳴り出すと終に悟飯は泣き出してしまった。 流石にそれにはトランクスも驚いた。 悟空が亡くなってからも、人前では泣いたりしていないのだとチチからも聞いていたし、泣いていたんだなと思わされる時はあっても、実際に目の前で泣かれたのははじめてだった。 「悟飯さん」 声も出さずにぽろぽろと涙を零す悟飯に、どうしたら良いのかわからず、触れる事も出来ない。 しかし悟飯は突然ごしごしと涙を拭うと笑顔で云った。 「やっぱり、明日にしたほうが良いですよね。雨上がりの空はキレイなんですよ」 訳もわからずトランクスは頷いた。 その時、部屋の扉がノックされて開いた扉からチチが入ってきた。 「トランクスさん、雨も強くなってきたし、今日は泊まっていったらどうだ?」 「え?ああ、いえ、大丈夫です。傘をお借りして宜しいですか?」 居座ってしまっては申し訳ないと思ったのでトランクスは辞退した。 「雨ん中、おっとう呼ぶのも気が引けるし、泊まっていってくれると助かるんだども」 チチは優しく微笑んだ。 トランクスは少し迷ったが「ありがとうございます」といって頷いた。 正直、驚いた。 星を観に行けなかったから? 雷が怖かったのか? 前者はたぶん違う。 後者は絶対に違う。 やはり悟空さんの。 俺は。 俺は悟飯さんを失って、きっと悔しかった。 ずっと悟飯さんに守られて育ってきた。 何よりも悟飯さんを守りたかった。 だから悔しくて、悟飯さんを守れなかった事が悔しくて。 でも、本当はそれに気が付いたのはずっと後。 悟飯さんを失った喪失感で真っ白だった。 何も考えられない日が続いた。 悟飯さんの居ない世界に、何の魅力も感じなかった。 例えこの先に悟飯さんの望んだ未来があっても。 何もなくても悟飯さんさえ居てくれれば、それだけで良かったのに。 何もかもいらないから、悟飯さんを返して欲しいと本気で思った。 母さんを失っても同じ事を思ったかも知れない 「Ursa MajorじゃなくてCanes Venaticiが観たいんですか?」 先程の悟飯の星座のチョイスが気になっていたので訊ねてみた。 悟飯は嬉しそうに頷いてからSelenographiaを持ってきた。 「地図です。神殿の書庫でお借りしました」 月面図を地図ですと言い切るのも凄かったが、また凄い物を借りてきたなとトランクスは思った。 「それでHeveliusの星座」 トランクスは納得出来たような気がした。 扉を叩く音とほぼ同時に風呂上りのチチが顔をだした。 「あんまり夜更かしするんでねぇぞ」 「はい」 頷いて素直に答えた悟飯の髪を優しく撫でると、チチはトランクスに「おやすみなさい」と微笑んで先に寝室に戻っていった。 トランクスが悟飯のベットを借りる事になっていたので、悟飯はトランクスの頬に唇を寄せると「おやすみなさい」と母と同じように、部屋を出ようとした。 だが、トランクスはせっかく泊まらせて貰うのなら、悟飯の傍に居たいと思い、悟飯を呼び止める。 「一緒に寝ませんか?」 悟飯はきょとんとしていたが、すぐに笑顔で頷いた。 「お母さんに、おやすみなさいしてきます」
Selenographiaは天文学者Heveliusが発表した初めての月面地図です。
悟飯ちゃんが観たがっていた星座は全てHeveliusが設定した星座です。
the torn map
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