特に何も変わらない、いつもと何も違わなかった。 たぶん。 日差しの色も。 窓の向こうの景色も。 開いた参考書とノートと、彼の手。 幸福なだけの時間。 午後の強い日差しの中、なだらかな斜面を悟飯は一気に駆け上った。 くるりと今来た方向を振り返ると、トランクスを見て満面の笑みを浮かべる。 トランクスも微笑み返すと、満足そうに悟飯はまた180度くるりとまわった。 くるくると悟飯が動くたび、白い服の裾がひらひらと揺れて、水色で何かがプリントされたベージュのショートパンツが見え隠れした。 丈の短いショートパンツは普通にしていると上服に隠れてしまう。 午前の勉強中は、いや昼食中もたしか白のオーバーオールで踝までしっかり隠れていたはずだった。 そんな事を考えている間に悟飯は反対側の斜面を駆け下りて行く。 後から駆け下りてきたトランクスを悟飯はニコニコしながら待っていた。 そしてトランクスの手を取るとまた走り出した。 「午後から小川へ行きましょうか?」 ふと、トランクスが思いついたのがきっかけだった。 晴れたり、雨が降ったり落ち着かない、6月の天候の中、ここ数日はカラカラと晴れていたので思いたったのだ。 それを受けて悟飯は大きく頷いた。 悟飯はちょこんと座り込むとスニーカーを脱いだ。 「悟飯さん、入るんですか!?」 いっぱいの笑顔で頷くと「トランクスさんも」と促してくる。 「気温は高くても、水温は低いかも知れませんよ」 悟飯はきっと始めからそのつもりだったのだろう。 ああ、それで着替えたのか 川は流れも緩く、浅そうに見えた。 「…良いですよ」 それでも自分の返事をきちんと待っている悟飯の頭をくしゃくしゃと撫でた。 その手を取って「そう云ってくれると思っていました」と笑う悟飯の桜色に染まった頬を指先で柔らかく突いて、トランクスはだろうなと思った。 自分もスニーカーを脱ごうと目線を靴紐に移したほんの一瞬「あっ」と悟飯の悲鳴が上がった。 何が起きたかは解らないが慌てて駆け寄り悟飯を抱き止める。 「…」 「…」 「…」 「…ごめんなさい」 悟飯は足を滑らせただけで、直ぐに体勢を直せたが、思わず声が出てしまったらしい。 「入ってしまえば、冷たくないんですね」 まだ、心臓はドキドキしていたがとりあえず笑ってみせた。 トランクスはスニーカーを脱いで日に干した。 既に膝下までびしょ濡れのジーパンを申訳程度たくし上げて。 「海は波がきても、ざーって引いていっちゃうけど、またざーって戻って来るんです」 突然、悟飯が云い出した。 「でも川は同じ方向に流れてて、戻ってこないでしょう。だから川は寂しいです」 寂しいですとは正反対の悟飯の笑顔。 トランクスは悟飯の頬に手を当てて、ほんの少し唇を開いて、悟飯の唇に近付け様とした。 けれど、悟飯はてらてらと夕日を映したオレンジ色で、世にも幸福そうなまま笑っていた。 「そろそろ帰りましょうか?」 立ち上がりながらジャケットを脱ぐと、それを悟飯に着せてやり、干してあるスニーカーを履きに行った。 平静を装ったけれども内心は驚きと戸惑いが駆け巡っている。 俺、何しようとしたんだ?悟飯さんに。 振り返ると視界に入った悟飯はやはりまだどう見たって子供で、まだまだ幼い。 けれど先程は本気で"そう"感じてしまった。 悟飯はふとジャケットのポケットに何かが入っている事に気が付いた。 なんだろう? そこではっと息を呑んだ。 おそらくそれはカプセルの入ったケースであろう。 この中にタイムマシンもあるのだろうと。 そして気が付いてしまう。 当たり前のように傍に居てくれたからずっと一緒に居られるのだと思ってしまっていた。 そんなこと有り得ないのに。 世界が一転した。 些細な切っ掛けで。 それも自分自身の中だけで。 けれどもう戻れない。 一緒に居たい。 でも、トランクスさんは早く戻りたい筈。 未来を…だって、その為に来たんだから。 優しいから、ボクがお父さんを失ったから?帰れない? ボクの所為で帰れない。 トランクスがスニーカーを履いて戻ってくると悟飯の様子がおかしかった。 先程までと違い急に沈み込んでしまっている。 「悟飯さん?」 何も云わずに、ほんの少し首を傾けてじっと自分を見ている表情はあどけない。 「疲れましたか?」 それにも答えずただ両手を自分に伸ばす悟飯を見て、はしゃぎ過ぎて疲れたのだろうと思いそのまま抱き上げた。 「家に着くまで寝ていて良いですよ」 トランクスはそっと悟飯の髪を撫でた。 声が出ない。 云いたい事も、聞きたい事も、沢山ある筈なのに、言葉が見付からないから。 体が疲れた訳でも、眠たい訳でもなかったが、彼の肩に顔を埋めた。 |