止まれない流れの底



風が吹いていた。
止むことなく、繰返し。
時折、強く吹きつけ目を閉じた。

その丘に立つ自分が不思議でならなかったのは、はじめだけ。
お墓参りに三人で遣って来たのはこれが三度目だった。
主に報告。
目まぐるしい程のスピードで復興の進むこの世界を伝えたくてボク達はここに来る。
悟飯さんのお墓に。



走る。世界が。


ブルマは世界中に無償でカプセルコーポレーションの技術を提供していった。
物資、人材が彼女に応えて集まり、人々が本気で時代に挑んでいる。
スタートラインを輝かせ走り始める。加速してゆく。それでも一歩づつ。
失ったものと手に入れたものは比べられない程、それぞれに価値があるのだと彼女は笑う。
強く。だからきっと美しい。

トランクスは毎日の様に、未だ隠れ暮す人々を探し人造人間がいなくなったのだと報せてまわった。
ラジオのニュースが届かない人々に一人づつ。
誰もが感謝や喜びで顔を綻ばせる訳ではなかった。
半信半疑の者、そこに何を感じて良いのかすらわからない子供達、今更だと嘆く女性、言葉なく頷く老人。
だから説得はしなかった。
ただ伝えてゆくだけだ。
彼等の目にも、何れこの生まれゆく世界が映ると信じているから。
それぞれが自分の目で見る、足で立ち上がる、そして歩き出す。その自信があるからそうしていた。

悟飯は始めこそトランクスと共に報告に回ったが、日々に収まり自然な形で徐々にブルマに着いていく回数が増えていった。
物質の圧縮により輸送の効率は断然上がる。
道の舗装、建物を造り、食料の供給、全てに役立ち世界が活気付く。
カプセルコーポレーションと云う会社はそこから始まったのだときく。
通信技術も普及させてゆく。
そこで忙しなく出入りする人々にお茶をだしたり、軽食を作ったりと云った手伝いをする。
何時かはトランクスと離れると云う事を、何時の間にか意識することはなくなっていた。

人々の活気が世界をキラキラさせみんなを前向きにさせる。
相乗効果って凄い。
きっと沢山の大切なものを失ってきた人達が、失望の泥から這い上がりもう一度輝く時間。
人は時として神様より偉大だ。



「あの子、ブルマさんの子供?」
二十歳前後の男性がブルマに尋ねた。
最近よくここに通うようになった人懐こそうな青年だ。
彼はサンドウィッチを運んできた悟飯に、にかっと笑って手を振った。
「そう見える?」
戯けて笑うブルマと悟飯を彼は交互に凝視した。
「似てないけど、見える」
「なら、そうする事にした」
予想していなかった回答に彼は一瞬驚いて見せたが、直ぐに悪戯っぽく笑う。
「なんだ、違うんだ。ブルマさん若く見えるけどおばさんだもんね」
言い終る前にブルマの怒りの形相に気付き、彼は逃げて行った。
「私おばさんか?お姉さんよねぇ」
実年齢よりはずっと若く見える彼女だが、流石に無理なことを誰にともなく呟く。
まわりはあえて聞えない振りを決め込んだ。

「帰りましょうか?」
丁度、食器類を洗い終えた悟飯にブルマは声をかけた。
「はい」
微笑んで、踏み台にしている木箱からぴょこんと降りる。

ブルマは車を出そうと手にしたカプセルを仕舞い「歩こうか?」と微笑んだ。
東の空には宵闇。
太陽は間もなくその姿を全て隠してしまうだろうが、自宅まで歩いても十分と掛からない。

ぽつりとブルマが語り始める。
「学校をね、作るんですって」
視線は薄い月を眺めていた。
「今までもなかったわけじゃないのよ。でも違うの。太陽がずっと照らして眩しくって、喧しくて、そこでは楽しい事しかないかの様に子供達が笑うの」
そこまで云ってブルマはふふっと笑った。
「私が行ってた学校みたい」
悟飯もブルマを見上げて笑った。
しかし急に彼女の表情には僅かな影が落ち、物悲し気に映る。
縋る様な瞳と微笑んだ唇がアンバランスに悟飯を捉えた。
「…通わない?」
二人の歩が緩やかに止まった。

タイムマシンのチャージが出来次第、トランクスは悟飯を元の世界へ送り、自分は戻ってくるのだとブルマが告げられたのは五日前の事だった。

応えられずに戸惑う悟飯との間に生まれた沈黙を呑み込む様に彼女が唱える。
「…ごめんね。嘘よ。忘れて。」
それは呪文。
嘘だと、忘れろと彼女が彼女自身に唱えた呪文。
二人の事は二人で決めろと云った自分の責任を投げ出さない為の呪文。
初めて悟飯が遣って来たあの日、自分がこの子をこんなに好きになるなんて思ってもいなかった。
否、例え知っていたとしても何故云えよう。二人の事を三人で決めましょう、なんて。
だから、せめてこの魔法の呪文がよくききますように。
ずっとじゃなくて良い。
今だけ。悟飯がまだ居る間は上手に魔法に掛かって居たい。

チャージ完了まで凡そニ週間。
その事はトランクスにも悟飯にもまだ告げていない。

月映えの笑顔を悟飯に向けた。
「愛してるわ」

だから、引き留めない。



何時もより少し早めに帰宅したその日、タイムマシンのチャージが完了していた事をトランクスは知った。
昨日ブルマがニ、三日中にチャージが終わると云っていたのが気になっていた。
家には誰も居らず、タイムマシンを見ると完了していたのだ。
クイックチャージが可能になった為、今までより格段に早い。

トランクスは唖然としたままでタイムマシンに掌を添えた。


三ヶ月前、人造人間を破壊した翌日、悟飯から告げられた言葉は逆らい様のないものだった。
タイムマシンが使えるようになったら元の世界に帰りたいのだと云われた。
昨晩の事ばかりが頭の中を廻る。
気付かれていたのだと知った。否、知っていた。
あの時、掻き抱いてはいけなかった。知っていた。それでも抑えられなかった。
代わりだと思ったことなど一度もない。
その事に嘘など欠片もない。
そう悟飯に伝えてしまいたいと何度も思った。
しかし、確かに、悟飯を抱き締める自分を占めていたのは亡くした悟飯への想いだった。
それ故に自分にはもう伝える資格がない。
伝えたところでより悟飯を傷つけるだけになってしまう。
だから選択の余地はなく、頷く事しか出来なかった。

「それまでは一緒に居て良いですか?」

その言葉に思い知らされる。
悟飯は自分と離れたくなった訳ではないのだ。
これ以上傷つくのを恐れているのだと。
辛い想いをするにしても、ずっと付いて回る痛みよりも何時か薄れゆく痛みを選んだのだろう。
その選択は正しい。
二度としないと誓えるのに、誓うことすら許されない。
これ以上この子を傷つけず済むのなら手を放せる。
そもそも、何時かは離れると覚悟して一緒に居たのだ。
罪に対する罰は悟飯と離れることではない。
悟飯の傷が自分の罰だ。

緩やかに抱いた身体の細さをコワイと思った。
正確にはその感覚を失う事が恐かった。


それは三ヶ月経った今でもかわない。
HOPE!
自分の書いた文字を目で追った。
ひどく歪でも構わない。今だけその恐怖を仕舞い込んでしまいたい。



「タイムマシンね、あとニ、三日でチャージ終わるわよ」
ブルマにそう告げられた翌日、悟飯は初めて一人で墓を尋ねた。
伝えたい事が沢山あるような気がして。
けれど。
「帰ります」
その一言に全てを込めて頭を下げる。

三ヶ月前に帰りたいと云ったのは自分だった。
代わりでも良いから傍に居たい。
それは間違いなく本心。
けれど自分は偽者。
本物の悟飯さんではない。
代わりでも良いと思うのは自分であって、トランクスが良しとする訳がない。
その事実はゆくゆくは彼を傷つける。
ならば離れてしまおうと決めた。
偽者が、せめて彼の為に出来る事があるならそれだけだ。
そして残り僅かでも一緒に居られる時間を大切にしよう。
何時か彼もそんなような事を云っていた。

一緒に過ごせた時間を宝にそれぞれが在るべき場所へ。

簡単に崩れてしまいそうになる決意が、どうかあと少し保てますように。
天にでもなく、地にでもなく、神様にでもなく、祈る。


Bottom of flow which cannot stop
November-16-2006
未完のまま四年も経ってしまったので一言。

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