スプリングが軋み、その先に人の体温を察した。 重い瞼を気怠く開けると、視界には知った顔がある。 「…灰原?」 覚醒への狭間。 声を掛けてはみたものの、言葉になっていただろうか。 「起きてたの?」 幼さの残る声音とその口調のギャップ。 「…今…起きた」 沈黙が長く感じる。 「ごめんなさい」 起こしてしまった事への謝罪だろうか。 ならば、もう一度眠ろうと瞼を閉じた。 「隣、良いかしら?」 隣? 相席。そんな言葉が頭を過る。 「どうして?」 良いか、悪いかと問われれば、これだけ空いたスペース、少し位譲ったって構わない。 しかし、自然と浮かんだ疑問を口にしていた。 彼女が視線で答えたので、それを追う。 そこには、服部平次に占拠された灰原哀のベットが、可哀相な存在として置かれていた。 「はっとりぃ…」 眠たい乍らも呆れた声を出す。 哀のベットを占領し、その場所の主かの如く気持ちよさそうに眠っている平次は、昨日の夕刻に阿笠邸へ遣って来た。 最近コナンがこちらに寝泊りしている事を知ると、一も二もなく、家主阿笠博士に自分も泊めて貰えるよう話を付けていた。 早い、そして相変わらず自己完結気味だ。 そう思うと共に、彼に振り回されないよう、自分も自分のペースで接しようと決めた。 だから平次が態々大阪から遣って来たこと等、お構い無しに、彼の入浴中にも拘わらず睡魔の誘いに抵抗せず応じたのだ。 「悪りぃ…」 ずずっと身体を端に寄せ、元々空いていたスペースを更に広げた。 それを受けて、哀はスリッパから抜いた足を、人の体温で保温されたリネンへと滑り込ませる。 「何であなたが謝るのよ」 何でと訊かれても、眠い頭に明確な答えなんてなかった。 平次は自分を尋ねて遣って来たから。 或いはせめて一言、そこは哀のベットだと伝えて置けば良かったとしか思い浮かばない。 「服部…考え無しだな…」 「あなたに気を遣ったんじゃない?」 その言葉の意味を今一汲み取れない。 素直にインタロゲーションを表情に出すと、哀が微かに笑った。 「お蔭で私は大迷惑だけど」 やはり責任を感じて、更に隅へとずるずる移動してゆく。 「こども」 しかし、唐突にそう呟いた哀に、腕を掴まれベットの中心まで引き寄せられた。 「子供の姿じゃなかったら、工藤君と一緒に眠る事なんて一生なかったわね」 「子供の姿じゃなかったら知り合ってないんじゃねぇの?」 今の姿のように小さなとは付かないが、子供らしい返答に、僅かな自虐を僅かに救われ、替わりに僅かな疎外感を生んだ。 「…私の事恨んでる?わよね」 そんな事、言葉に出して云うつもりはなかった。 けれど、零れる。 何故だろう。 夜の所為に出来るだろうか。 今のこの子の所為に出来るだろうか。 出来ない。 「灰原…お前、今日変じゃねぇ?」 大きな瞳が見上げてきた。 穢れのないその瞳に、否、心に捕らえられたら、どうなってしまうのだろう。 「そうかもね」 遣り過ごす為に、視線を逸らし、毛布を掛け直して遣った。 「気にしないで、お休みなさい」 コナンに背を向けて、横になると視界に眠る平次が入ってきた。 彼も自分と同じ理由で、それ故にあの場所を選んだのだろうか。 傍には居たい。 けれど、近付き過ぎれば魂ごと捕らわれ、引き返せなくなる。 直視には眩し過ぎて、しかし見ずには居られない程美しく輝く。 「恨んでる訳ない」 ぽつりと届いた声に振り向くと、視線は何時の間にか起き上がっていたコナンにぶつかった。 「お前が居なかったらオレは死んでた」 「え?」 確かな声。 しかし内容が突飛だった。 「彼奴等はオレを殺すつもりだったんだ。お前があの薬を作ってなかったら、他の方法できっと殺されていた」 何処までが本心なのだろう。 この子が、その体を悔いていない筈がない。 それは普段の彼から見て取れた。 けれど嘘を含むようには見えない。 見付け出したその答えに酔っているのか、或いは妥協しているのか。 若しくは、限り無く純白い。 自分のキャパシティーにはなかったそれが一番近いのかも知れない。 そして、この子を通して知るのも悪くない。 この子の方向へと拡がってゆくのも。 「灰原のお蔭で、今生きてる」 ああ、でもこれは流石にこの子の優しさからだろう。 「そう、じゃあ感謝してね」 私にではなくて良いから。 感謝して、その命を大切にしてね。 コナンの肩口を掌で押して横になるよう促す。 「もう、寝なさい」 もう一度コナンに毛布を掛けて遣ると、眠かったのだろう。 直ぐに瞼が閉じられた。 それでもまだ口を開く。 「それに…オレは必ず…戻るよ」 眠気でとろんとした幼い口調でも、彼らしさが残っていた。 「ありがとう」 感謝の囁きは、想いの量とは反対にとても小さな声だった。 彼には届かなかったかも知れない。 けれど、もしいるのなら神様には必ず届いている。
expected unexpectation
December-27-2004 |