リアリズムとコペンハーゲンインタープリテーション



目が覚めたのは夜十時。
外は暗くて、室内も暗くて、頼りない月明かりだけが視界に救いの手を差し伸べている。
開け放たれた窓からの僅かな風と夏の夜の匂い。
肌の表面を撫でるように擽るその匂いを甘いと思う。

一時間ちょっとしか眠っていない。
けれど睡魔は何処を捜しても見当たらなかった。
目が覚めてしまったのだ。
凄い早起き
そんな事を考えてもみるけれど、一人ではあまり面白くもない。
こんな時間に起きている事に高揚してしまう。
その甘い、甘い緊張感を持て余してしまう。
そうだ海へ行きたい。
一度は見てみたかった夜の砂浜に悟飯の心は囚われてしまった。
隣で眠る弟を起こさない様に、そっとベットを抜け出す。
自分が起きた所為か乱れてしまったタオルケットを悟天に掛けなおして、ふふふと微笑う。
夜中に一人で海へ出掛けると云うプランにすっかり酔ってしまっていた。

ふわりと、宙に身を浮かせ、窓から庭へ、そして空へ。
夜の空気が肌に纏わりつくのを感じた。
夜の砂浜に想いを馳せる。
以前、何かの本で見たその光景はとても美しいものだった。
静寂な海は色を伴う光で夜に映え、約束された秘密にも思えた。
期待は高まる。


視界の悪い夜の空。
けれど何かがこちらへ遣って来るのが見えた。
何だろう?
「悟飯さーん」
その正体を視覚より聴覚で先に認識した。
「悟飯さん、何やってるの!?」
突然現れたトランクスに二の腕を掴まれて、何が何だか悟飯には把握出来なかった。
「何かあったの?」
心底心配そうにこちらを覗き込むトランクスに首を横に振って見せた。
「ううん、起きちゃったの」
それでもまだこちらを見詰める彼に云い足した。
「海を見たくなっちゃったの。ごめんなさい」
暫くは視線を外さなかったが、ふと掴んでいた手と共に解放し微笑った。
「驚いたよ、悟天の家の人ってこんな時間まで起きてないじゃん」
悟飯はこくんと頷いた。
「なのに悟飯さんが一人で出歩くなんて、何かあったのかと思った」
「ごめんなさい」
トランクスはふるふると首を振って微笑んだ。
「悟飯さんウエンディーみたい」
「?」
「夜空をパジャマ姿で飛ぶなんて」
そう云われて初めて自分が着ているのはパジャマである事に気が着く。

「行こう、海に」
羞恥で頬を染める悟飯の足に、トランクスは自分の履いていたサンダルを履かせ「見たかったんでしょう?」と付け足す。
「駄目だよ、トランクスくん、ブルマさん達心配するよ、送って行くから帰ろう」
トランクスには少々ピントのずれた悟飯の気の使い方まで可愛く思えてしまう。

「大丈夫だよ、パパには云って来たし」
パパ… ベジータさん
ベジータで大丈夫なのかと疑問にも感じたが、流石にそれは失礼なので云わずに置いた。
「おいで」
そして、促されるままにトランクスに付いて行ってしまう。


波の音が聞こえる。
とても大きく。
けれどそこはただの暗闇で何も見えなかった。
大きな波の音。
それはきっと辺りの静寂の所為。
その音と暗闇の交角に覚えた恐怖感でパジャマの裾を握った。

「トランクスくんっ」
「ん?」
「海、何処?」
「?」
質問の意味が今一、理解出来ないトランクスは悟飯の表情を覗き込んだ。
「ここ。ここ海、砂浜、夜だから見えないだけであの辺波際」
それは悟飯の思い描いていたものとは大分違った。
「来なよ」
トランクスは悟飯の手を引いて、先程指差した波際の方へと歩き出した。

「まっ…待って」
「ん?」
「…待ってぇ」
その頼りない表情からやっと察する事が出来た。
「こわいの?」
頷く悟飯を思わず声を上げて笑ってしまう。
赤らめた頬を膨らませ、涙ぐんだ瞳で此方を睨み据える姿に覚えた感情を一先ず伏せた。


「旅行会社のパンフレットか、何かの写真集とかじゃないかな?」
トランクスは砂浜へ続く階段に腰掛け、自分で望んでいた夜の海を拒む悟飯から理由を聞き出していた。
「そう云うのは大抵リゾート地、ホテルの持ってるプライベートビーチとか、撮影用にその時だけライトアップしたりとか」
きゅるんとした目でこちらを見詰めたまま、残念そうにふーんと云う年上の筈の悟飯が可愛くて仕方ない。

「行けば良いじゃん、行こうよ」
「でも、もう遅いし」
あの空間が人口的にでも存在するのなら行ってはみたい。
しかし時計の短針が三百三十度を指し十一時を示すのは間もなく。
「今日じゃなくても良いでしょう」
そう云うと悟飯の華奢な手を取りその甲に唇を押し当てた。
「お望みなら、月の海にだって連れて行ってあげられるよ」
憂いを帯びた物言いが少年を年齢よりも大人に見せる。
「悟飯さんは元々この世界の人なんだよね?」
頷く悟飯にはその問いの持つそれ以上の意味なんてわからない。

トランクスは海へと向き直った。
闇の向こうで繰り返される見えない波を見ているのだろうか。
「俺、お姫ちゃんの気が変わるの待ってんの。格好悪い?」
独言だったのか、問われたのか。
「おひいちゃんって誰?」
こちらを振り向いたトランクスの笑顔が、暗闇の中なのに何故かはっきりと見えた。
「秘密」
そう云って立ち上がる少年は両手をこちらに差し出していた。
手を取ると立ち上がるよう促す力が加えられる。
「帰ろう、お姫ちゃん」
波の音が繰り返し聞こえる。
見えないその海から。

もしも。
けれど。


Realism or Copenhagen interpretation/Realism and Copenhagen interpretation
July-30-2004
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